【記念日】8月4日は「箸の日」。 ご来店の方に、お箸をプレゼント!

2014-08-03

 

8月4日箸の日_ポスター  ←クリックしてね!

8月4日は、「箸の日」。 「箸を正しく使おう」という民俗学者の提唱で、わりばし組合が1975(昭和50)年に制定。「は(8)し(4)」(箸)の語呂合せ。
東京・千代田区の日枝神社では、8月4日「は(8)し(4)」に因み、箸の感謝祭が執り行われている。 「箸」に感謝し、延命長寿・無病息災を祈る祭。 当日は感謝祭齋行後、神社内庭で箸のお焚き上げが奉仕される。
同神社の説明によれば、この行事の目的は、”箸は日本の食文化の根幹を成し、神社祭祀にあっては祭の器として大きな意義を持っているから”とか。
日本人が毎日何気なく使っている「箸」、はいつごろからあるのだろう。又、いつごろ日本に伝えられたかは、定かではなく様々な説があるようだ。そのような様々な説の中で、有力な説と言われているものが以下のようなものある。
その1つは、日本最古の文献である「古事記」の佐之男命の大蛇退治の章には『出雲国の肥の河上(かわかみ)、名は鳥髪(とりかみ)といふ地に降りましき。此の時、箸其の河より流れ下りき。是に須佐之男命(すさのおのみこと)、人其の河上に有りと以為(おも)ほして、尋ね覓(もと)めて上り往きたまへば、老夫と老女の二人在りて、童女(おとめ)を中に置きて泣けり。』、つまり、須佐之男命が、川上から下ってきた箸が縁で川上に住む娘と結婚をし、八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治するという一節があり、当時から、、生活に深く結びついていたことが伺えこれを起源とする説がある。
日本では、竹製のピンセット状の箸が、弥生時代の遺跡から発見されているそうで、奈良にある正倉院の御物の中にある「鉗(かなばさみ)」と呼ばれるものがあり、鉗は鉄製で、上縁部の内側を削り込んで、その弾性を利用したピンセット形の道具だそうであり、鉄製のものが出来るまでは、同じ型のものが竹や柳の木などの柔らかい木を使って使用されていただろうと想定され、古くから、このようなピンセット形の箸を使っていたのではないかというのである。
しかし、3世紀に書かれた「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」で倭人の「習俗」を記した部分には、以下の記載がある。(以下参考の「魏志倭人伝 私注」参照)
「倭地温暖、冬夏食生菜。皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飮用[竹/邊]豆、手食。」
つまり、”倭地の気候は温暖で、夏冬によらず生野菜を食べている。皆、裸足でいる。屋室があるけれど、父母兄弟で寝所は別である。中国で粉を使うように、朱丹を身体に塗っている。飲食には高坏を用いるが、手で食べている。”・・・と、倭人は箸(はし)を使っていなかったような記載もあり、この当時の箸は食具ではなく、あくまでも農機具の一つとしての位置づけであったようであると食具としての箸を否定する説もある。(以下参考の「箸」参照)
箸は、日本へは6世紀中頃に、百済から持ち込まれている。聖徳太子は、7世紀はじめ頃に小野妹子ら遣隋使が持ち帰った中国の作法を真似て箸食(はししょく)を行っている。これがきっかけとなって箸食文化が根付いたと言われ、1963(昭和38)年、奈良時代の平城京跡からは食器などに混じって大量の箸が発掘されており、これらの箸は奈良中期以前のものと推測されており、これを、起源とする説。私のようなものには分からないがお箸の起源は、このどちらかであるのだろう。
ただ、以下参考の「一彦ホームページ/月刊薬膳コラムには、「お箸にまつわる興味津々のお話を」と題して、「日本人と箸」「箸の美」などのコラムをはじめとして、NHKテレビ、民放など箸にまつわる番組の企画、出演で知られ、日本のお箸の研究家の第一人者といわれる、御箸司「市原平兵衛」七代目当主市原廣中さん の話が掲載されている。
その中で、お箸の起源 は、”もともと、柳の枝をふたつに折り畳んだピンセットのような形が最初。すでに古事記に茶事に使っていたという記録もある。箸の片方の端は神のもの、口に運ぶもう片方の端は人のもの。そういう意味あいがあって、食事の時、箸には神が降りてくると信じられていた。そして、そんな箸は 奈良の正倉院にも現物が遺っている。
一方、中国では、三千年前の殷(いん)の時代から使われていたとされており、 学者は中国から渡ったといっているが、それは奈良から平安朝にかけて、貴族が使った金属製の箸と匙が遺っているからで、必ずしもその起源を語るものではないと思う。人間が火を使うようになって、料理とともに発達したのではないか。手づかみでは熱いので、かたわらの木片を用いたのが最初ではないか。むろん、中国や朝鮮からも上等なものが入ったには違いないが、次第に金属の箸は捨てられ、柔らかい木を好むようになったと考えられ、匙も白木の杓子(しゃくし)に変わっていったわけです。 ” と述べられている。 そして、「箸」の語源 については、 端と端をつなぐもの。それが「橋」であり、また、食物を口に運ぶもの、これもまた「箸」。箸の語源はそのあたりではないかと思います。・・・と結んでいる。
ま!、私などにはどちらの説が正しいのかは知らないが、どちらの説にしろ7世紀には、日本で箸(はし)が使用されていたことは確かだろう。
今日のテーマーである、箸供養について、調べてみると、『若狭塗』で有名な、若狭の国は、古くは「御食国(みけつくに)」と呼ばれ朝廷に海山の幸を送り続けていたといい、また若狭の国造は「膳臣(かしわでのおみ)」であり、朝廷の料理を担当していたそうだ。そのようなことから、この地、若狭小浜で食卓の脇役として活躍する箸が創られるようになったそうで、今では若狭塗の箸で有名なところとなっている。このような、食具である「箸」の産地では、当然のように「箸の日」に箸供養神事が執り行われているが、他にも、「箸供養」を行っている寺社があちこちに見られるが、必ずしも食具の「箸」とは直接関係のないところでも行っている。たとえば、京都府宇治市にある真言律宗の寺院「雨宝山放生院(常光寺ともいう)」は通称「橋寺」と呼ばれ、宇治橋守護の寺として有名である。 寺伝には聖徳太子の時代から宇治橋の管理にあたってきたとあるそうだが、一般には鎌倉時代に、奈良西大寺の叡尊が宇治橋の架替えの際に行った橋供養のときに建立されたと考えられているそうだ。このように、今の「箸供養」は「橋供養」から来たようであり、「ハシ」つまり「箸」が「橋」と深いかかわりがあり、「食と口との橋(はし)渡しをするもの」といったところが「箸」の語源と関係しているのだろうことは推測される。
中国の箸は、日本の箸より長く、先がとがっておらず、取り分の食べ方に適しており、特に、子供用や男女別の箸がなく、素材としては一般に竹や木が用いられるが、高級なものは銀や翡翠なども使われ、高級な箸ほど重たいという指向性があるようである。そして、箸と匙がセットになっており、家庭において箸の個人所有がみられないことなどの使われ方に特徴が見られ、取り箸がなく、宴席において主人が自らの箸で客に料理を取ってやるなど、日本とは異なる箸のマナーが見られる。
一方、日本の場合は、形状の特徴としては、中国の箸よりも短く、先が細く、食物をつかみやすいようになっている。素材面では、木製の軽いものが好まれ、高価なものは漆塗りや蒔絵など、加工の段階に多くの労力が注がれている。又、形状ばかりでなく、種類にも,菜箸・取り箸・割箸など多くのバラエティーがある。男女別や子供用の箸もあるし、行事には竹箸や柳箸などが用いられている。さらに箸に関連して,箸置・箸箱・箸袋など、箸にまつわる付属品も各種ある。使われ方としては、中国のように取り分けではなく、規範としてあらかじめ食物が分配されているため、箸は各自の食器から食物を口へ運ぶ道具であり、また、箸だけで食べなければならないため、箸には切る、はがす、ほぐす、押えるなど、運ぶ以外にも多くの機能が求められており、日本では中国とは対照的に、取り箸を用い,直箸は嫌われるなど、箸の使い方・食べ方の作法も確立されている。
近年は、欧米人のあいだでも箸は一つの食具として受け入れられ、箸を使えるということは、かつての日本でナイフ・フォークを正しく使えるのと同じように、一つのステータス・シンボルにすらなりつつあるという。しかし、近年、日本人の箸の使い方は乱れており、成人した者でも箸が使えず、握り箸で食べていたり、箸の代わりにスプーンを使っているなど目を覆いたくなる光景が見られる。古くから、日本人の手先が器用なのは、お箸を使うからだとも言われている。箸(はし)は二本の棒を片手で操(あやつ)り、さまざまな機能をもたせる事の出来る優れた道具(食器)である。今までの日本人は、箸を使うことによって、微妙な指の使い方・力加減を幼い 頃から習得していたのである。
箸の日は、 正しい箸の持ち方から食文化の見直しまで含め、箸を考えようという民俗学研究家の提唱により、制定されたものという。ここでいう、民俗学研究家とは『はしの本』の著者でもある本田總一郎氏のことではないかと推測しているが、兎に角、今一度、箸を正しく使えるように、箸の文化、作法、使い方などを見直して欲しいものである。

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